「政治に関心がない」「どうせ投票に行っても何も変わらない」。少なからず、わが国有権者はこのように考えていると思います。しかし、私は子供の頃から、政治は大切だと思っていました。歴史の本やマンガを読むのが好きで、戦火に巻き込まれるのか、それとも平和を享受できるのかは、政治がどうなるのかに関わっているからです。
家族や親類に政治家はいませんでしたので、自分自身が政治家になろうという気持ちまではなかったのですが、自然と興味関心を政治に持つようにはなっていました。大学では政治学のゼミに入り、当時少し前に日本新党から始まった新党ブームについての研究や著書出版も行いました。その後、民間企業に就職したり、国会議員の秘書を務めたりと、さまざまな経験をしていましたが、大学のゼミの指導教官である蒲島郁夫先生が熊本県知事となり、そのお手伝いをすることとなって、私は政治・行政の世界へ本格的に足を踏み入れることになりました。
蒲島県政1期目は知事の参与としてサポートしてきましたが、2期目から副知事を任され、地方行政の場で、少子化や若者流出により人口減少が激しい地域をどのように活性化するか、さまざまな挑戦を行ってきました。
豊かな自然を生かした熊本の農業を生産・流通・販売の各方面から立て直し、若手人材育成のための仕組み(農業経営塾)を作るなど、それまで減少が続いていた農業産出額をプラスに回復させました。
また、くまモンのイラスト利用料を県内企業にフリーで提供するなどの知的財産戦略を策定し、関連グッズの販売額累計1兆円超えを達成するとともに、全国的にも知名度が高くなかった熊本のブランド確立も行いました。
そして、県内の中でも深刻な格差があった県南を振興する担当副知事となり、それまで一向に進まなかった企業誘致を積極的に行い、県政史上最高の誘致件数を任期最終2年間に実現することもできました。
昨年6月、熊本県政での参与として1期4年、副知事として2期8年の仕事を終えたとき、ちょうど東京都知事選挙間際となっており、そのときの選挙戦の構図が、自民党が独自候補を出さず、他の候補者を見ても中道保守がぽっかり空いており、これではコロナ禍の中でどう首都の東京の苦境を脱し、日本を引っ張っていく原動力として発展していくのかのリーダーの選択肢が見えないと感じ、無謀とは思いつつも、思い切って都知事選挙でたった一人で名乗りを上げました。
これまでの人生でお付き合いをさせていただいた多くの方々の応援と、改革政党の日本維新の会から推薦をいただいたこともあり、わずか3週間あまりの戦いにもかかわらず、61万票もの都民の皆様のご支持をいただきました。しかし、現職の壁は厚く、勝利を手にすることはできませんでした。
都知事選挙が終わった後、今後をどうするかを考える前に、選挙戦最終日の2020年7月4日に起きた熊本県南部の水害のボランティアに一刻も早く駆け付けたいと思い、2か月間泥かきや床・壁はぎなどを行っていました。
その中で次に何をしようと考えていたのですが、都知事選で一緒に戦った日本維新の会からもお誘いをいただき、国政で挑戦することを決めました。
地方行政の現場でも色々努力して、自分なりに大きな成果を上げたと思っておりますが、やはりそこで国の法律の壁、中央省庁の規制の壁が立ちはだかることも多々ありました。それを改革政党の日本維新の会から、国政の立場で動かしていくことにより、非常に大きな仕事ができるのではないか。そのように考えています。
思えば、私が社会に出てから、日本は成長を実感する時代を過ごしたことは一度もありませんでした。バブル時代が終わってから、社会・経済の構造転換をしなくてはならなかったにもかかわらず、長らく政権を握っている自民党は、改革を行うことなく、既得権を握っている古い業界などの構造を温存し続けてきました。しかし、このままの自民党政権が続けば、「失われた30年」はいつの間にか「失われた40年、50年」となってしまうでしょう。
私は、日本を子供たちが夢を持って挑戦していける、未来に希望を持てるような、常にダイナミックに成長する国に生まれ変わらせたいと思います。私一人などでは到底実現できない大きな目標ですが、思いを同じくする仲間とともに進めば実現できると思っています。皆様のご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。